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今日も少し腹の調子が悪かった。それに加えて喉の調子も悪い。 どうやら風邪を引き始めたらしい。しかし、今日こそは官渡で勝利を修めなければならない。
我々はホテルを後にして、まず、開封城跡を見物し、開封の要所を攻め込んだ。
開封城壁
最初に攻め込んだのが相国寺である。ここには、日本人僧侶の空海の像が祭られ、 お金を寄付した日本人の石碑があった。特に多かったのが愛媛県の人間であった。
相国寺
相国寺にはいろんな仏像があり、その中でも千手観音はなかなか立派なものであった。 ここにも関羽は出現し、財神として奉られていた。土産物も存在し、関羽信仰
の篤さ感じたのであった。
相国寺の関羽
そして、ここにきてイベントが発生した。中国に来た人はおそらく一回は発生させた ことはあると思われるイベントである。ここ相国寺には物乞いの老人が出現してお慈悲を求めてきたのである。物乞いは老人もしくは子供が多いのであるが、今回は老人であっ
た。物乞いは手にお金を持って近づいてきて何やら中国語でしゃべるのだが、ここで勘違いをしてそのお金を受け取ってはいけない。おそらく大事になるであろう。
我々はその老人を諭し、相国寺の和尚をも諭してつぎは鉄塔公園を制圧しに出かけた。
この鉄塔公園の塔はその色などから鉄塔と呼ばれており、鉄塔から見下ろした 下界の風景は絶景である。この鉄塔には関羽は存在せず、頂上まで急な階段を
登るのみであるが鉄塔を登る苦労から制圧した喜びを噛みしめるのに十分な魅力 を持っている。
鉄塔公園地図
無事鉄塔を制圧した我々は宋の太祖本拠地である龍亭に招待された。 この龍亭には三国志の武将もいたので我々は意気投合して味方につけ、 龍亭での宴に向かったのであった。
龍亭から眺める風景もなかなか絶景であり、さすが、宋の太祖も力を持っているなと感心しつつ仲間を探しに向かう。そして、劉備・関羽・張飛を発見し、仲間に誘う。そして。
水滸伝で有名な魯達(魯智深)が酒をのんで横たわっているのを発見し、仲間に加える。 収穫の大きな宴会であった。
鉄塔から見た風景1
龍亭公園全景
龍亭の風景
宴会も無事終わり、我々はいよいよ官渡古戦場に向かった。思えば、長い道程だった…。
−移動中−
我々がバスを降りた所はでかでかと官渡古戦場という看板が建っており、 さあ、中に入ろうとしたが、入り口が無い!人も近くの住民しかいない。 これはどうしたことだ。
とりあえず、我々は看板の横のまっすぐな道を歩くことにした。 しかし、道は遠い果てしなく続く。三タクを捕まえて行こうと思っても三タクがいない。 仕方なくとぼとぼと歩いて行く。
3kmぐらいは歩いたであろうか、ようやくそれらしき壁の壁画を見つけてようやく着いた。 と思ったが、そこにはそれしかなく、さらに2km先に微かにそれらしき建物が見えるのであった。
しかし、我々はそんな困難にはへこたれず、一路、戦場へと向かったのである。

官渡橋村
ようやく、目的地(官渡橋村)に着き、まず、攻め込んだのが古軍帳藝術宮(古戦場記念館)である。ここでの戦は壮絶なものであった。次から次ぎへと攻め寄せてくる敵軍を蹴散らし、ようやく我々はこの戦いを征したのであった。
官渡古戦場場面1
ここには他にも乗馬場、射的場、射缶場があるみたいだったが、人が少なく時間も時間であったので馬に乗るのはあきらめた。しかし、この戦の戦利品として我々は地図を手に入れた。そして、我々は敵軍を追撃しに出発したのであった。
敵は曹公台に逃げ込み伏兵を置いていたが、我々はそれを予測し逆に蹴散らした。そして近くに井戸(漢代曹操将士井)があったので休息をとったのであった。
曹公台
一時の休息を取った我々は再び敵軍を追撃しに向かった。敵は曹操栓馬植にて休息を取っていたので我々はそこを急襲し、大打撃を与えた。そしていよいよ城攻めである。敵が篭っている場所は官渡寺(関帝廟)である。門は閉ざされ入ることは出来なかった。
しかし、Huchuanの計略により、門は開城し、敵軍は壊滅したのであった。
ここから約10kmほど離れた霍荘村には敵将・袁紹が駐屯したという袁紹岡があったが、 日も暮れていたので本拠地洛陽に凱旋帰国することにしたのであった。
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